毒山凡太朗
Contact Distance —
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月曜-土曜: 12時-19時|日曜: 12時-17時
定休日:会期中無休
本展は、広島への原爆投下の日である8月6日に始まり、終戦の日である8月15日に会期を終えます。戦後80年という節目の夏に、戦争と災害の記憶、そしてそれらを「知らない」世代への継承のあり方を問い直す試みです。
直接の体験者が少なくなりつつある今、なおも続く記憶の連なりと、「語り継ぐこと」の困難さに私たちはどう向き合えばよいのか。その記憶や痛みを、どのように想像し、共有し、継承することができるのか。本展はその問いを、作品を通じて静かに投げかけます。
会場では、玉音放送をAIで再解釈した毒山初の直筆ペインティング作品をはじめ、日めくりカレンダーを用いた新作インスタレーションや、一昨年に予約制で限定公開された音声作品などを展示します。
タイトルの《Contact Distance —》に込められた「Distance(距離)」とは、災害や戦争の当事者と非当事者、美術教育を受けた者とそうでない者、語る者と聞く者、生者と死者——こうした立場や経験の非対称性を示しています。毒山は、その距離を無理に埋めようとはせず、「距離そのものの存在」を可視化することを目指します。
2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに、故郷・福島を巡る作品を発表し始めた毒山は、その後も沖縄、台湾、韓国、サハリン、アメリカなどを訪れ、日本の戦前・戦中・戦後の記憶が残る土地を巡りリサーチし、作品として発表してきました。作家自身も「震災をきっかけに美術を始めたが、美術教育を正式に受けたわけではない」という立場から、中心ではなく周縁から出来事や記憶の輪郭をなぞるように表現を続けています。 その作品群は、距離を超えて何かに「触れようとする」行為の積み重ねであり、毒山の作品は、その手がかりを私たちの内側に残していきます。
本展が、終戦と平和について思いを巡らせ、死者を弔う時間となれば幸いです。短い会期となりますが、毒山凡太朗の個展「Contact Distance —」を是非ともご高覧ください。
作家ステートメント
2022年8月、私は人生で二度目となる広島平和記念資料館を訪れた。
被爆二世である老婦人ボランティアの方に『今日はどちらからお越しですか?』と尋ねられ、とっさに『あ、えーっと、福島です』と答えると、『ああ、福島は毎日がハチロクですものね』と返ってきた。私はその言葉に衝撃が走った。広島で「ハチロク」といえば、世界で初めて原爆が投下された8月6日を指す。この一言は胸の奥で反響し続け、「記憶をどう共有し、継承するのか」「当事者になり得ない私はどこに立つのか」という問いを突きつけられた気がした。
私は東日本大震災後、天災や戦争などの災害を直接体験した者/体験していない者との「距離」と「輪郭」を常に意識してきた。そして、それを作品化したいと考えている。しかし、そのために世界中の博物館や資料館、映像、書物、インタビューを通して理解しようとすればするほど、結局は自分の日常が平和であることに安堵してしまう。この往復運動と後ろめたさが、私を制作へと突き動かしているのかもしれない。惨劇を「知る」ことと「体験する」ことの間には、どうしても越えられない隔たりがあり、その隔たりを無理に埋めるのではなく、むしろ距離そのものの存在を示す表現を模索している。
一昨年の夏、終戦の報せを人々がどのように「聞いた」のかを追体験するため、当時市民の間で親しまれていた戦時流行歌・軍歌をカットアップして玉音を再構築した。そして、それを用いた演劇パフォーマンスを一週間にわたって開催した。途切れるラジオの電波、判読しづらい抑揚と音節の滲み。それらは当時の空気を身体を通じて再考する試みであり、私にとって「記憶との距離」に触れる行為でもあった。
今年も追悼の夏がやってくる。
戦後80年を迎え、戦争体験者の生の声を直接聞ける機会は減り、東日本大震災や原発事故をリアルタイムで知らない世代が増えている。生活の記憶が文化的アーカイブへと移り変わる過程で、忘却と記憶がせめぎ合う。その「ねじれ」や「揺れ」を、どのように提示できるかを考え続けている。
震災をきっかけに私は美術の世界へ飛び込み、気づけば12年が経った。日本人の美術家として多くの人々に支えられ、アーティスト仲間にも恵まれている。けれど私は、美術大学で学んだ経験はない。専門的な美術教育も受けていない。だから世界中の美術館を巡り、美術史を独学しながら作品をつくってきた。それでもなお、絵具や筆の扱い方や種類の違いさえ、いまだによくわからない。構図やモチーフに悩み、寝ずに絵を描き、命を削るように課題を仕上げるという美術受験予備校に通った経験もなければ、受験絵画に必死で取り組んだこともない。むしろ「試験のための絵画」という文化自体が日本特有のものだと最近知ったくらいだ。
専門的な美術教育を受けた人々の体験を、そのままなぞることはできない。
戦争を体験することも、もちろん望まない。
だが、だからこそ、老人たちの声を記憶に刻み、カメラを通して映像に残し、その語りの隙間に漂う沈黙を拾い集める。隣人に倣って絵を描き、絵の具の感触や筆先の迷いを通して、彼らの苦悩や葛藤に少しずつ触れていく。そうやって当事者の感覚に、ほんの少しでも近づこうとすることが、私にできることではないか。身近な世界を理解することが、世界を知る第一歩である。私はこれまで、そうやって作品を制作してきたはずだ。
私はどこまでいっても当事者にはなれない、だが、それゆえに、「当事者」という言葉が抱える複数の層の境界を行き来し、その輪郭を繰り返しなぞることができるのではないか。そして、その揺らぐ境界に触れ続けることこそ、私にとっての学びであり自問自答であり、美術との関わり方なのだ。
毒山凡太朗