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神馬啓佑

当然の結末#6(共同住宅、個人的体験)


 神馬啓佑(じんば・けいすけ)は 1985年愛知県に生まれ、京都造形芸術大学に在籍中から、大学院修了後、今日に至るまで京都に拠点を置きながら、主に絵画制作に取り組んできました。自身の口の中のイメージをカラフルに描いたり、絵の具が乾いてしまうまでの10分以内に、指で描いた指頭画や、執拗なまでに磨かれたツルツルのパネルの表面に、所有物である日用品を描いたシリーズなど、神馬啓佑という作家を理解する上で、絵画様式やモチーフ、テクニックだけで、作家を捉えることは難しいでしょう。

 一見、脈絡のないように見える作品群ですが、神馬は常に「自己」と、それをとりまく環境を描くことで自分自身の輪郭を探ってきました。直接的に己の身体を観察したシリーズから、経験や思い出、感情の移ろいなど、彼の存在そのものを、時間軸における点ではなく線で捉え、絵画表現に落とし込んだシリーズなど、常に作品には絵を描く作家の存在を残してきました。それはつまり「自画像」とも言えるでしょう。

 今回の展覧会では、2017年から取り組んでいた「当然の結末」シリーズの最新作で構成されます。神馬が実際に経験したエピソードを起源として、風景や登場人物、作家の感情や印象を一度、エッセイに書き起こし、絵画に置き換えていくというものです。作家は以下のように語っています。


”これまでよりも長い時間軸の上で、主観・体験・記憶などの関係性に多くの情報を含むテーマを扱うにあたり、「絵画」が、“説明的なだけでなく造形的である”とともに、“情報が無限に広がる中で「個人的に整理し要約する」ような行為である”と考える私にとって、「絵を描くこと、言葉にすること」への新たな気づきを誘発するものとして位置付けられるとともに、それは新たな作品展開への可能性を模索する糸口ではないかと考えています”

 エッセイをゆっくりと読んでいただきながら、絵画をご覧いただく本シリーズを、東京で発表するのは初めての機会となります。満を持して臨みます、神馬啓佑の個展「当然の結末#6(共同住宅、個人的体験)」を是非ともご高覧ください。

「当然の結末#6(共同住宅、個人的体験)」 一部

 共同住宅は、いわゆる団地で、私はそこで19年間過ごした。神戸市北区は、六甲山の裏に位置し、山に囲まれた地域だ。団地は、三宮の方に向かう街道沿いにあり、すぐ隣がダムという場所でいつまでも湿気を帯びていた。団地一帯は、かなり深い緑に覆われていて、いつもフェンスを越え林の中に入って遊んでいた。フェンスを越えダムに近づくと、ダムの中に併設されたテニスコートに出る。私たちは林の中でいつもテニスボールを探していた。そのボールで野球をするためだ。私が住んでいる時は同じくらいの年齢の子供も多かった。ダム以外にも菊水山という山が近くにあり、私たちは菊水山の頂上に登る近道を知っていた。菊水山の見晴らしは今でも思い出す。団地は、全部で10棟あり、僕は初め10号棟に住み、のちに6号棟に引っ越した。夏には盆踊りも団地内で開かれた。この地域は比較的治安が良くはなかったが、私にとっては静かで居心地の良い自然に囲まれた場所だった。
 10歳の時、自分より4歳上の中学生と夜走っていた。私たちはそれを夜練と呼んだ。私には3人の一つ年下の幼馴染がいて、いつも団地の路地で遊んでいた。少し年上と過ごす夜の時間は刺激的で少し優越感もあった。二人は、Yくんはサッカー、Hくんは、野球をしていた。私とは違って二人はシュッとしていて、運動神経が良かった。私は、太っていた。
 たまにどちらか一人とだけ走る日があった。Yくんの時はいつも通り。でもHくんは違った。団地の一番奥の棟に連れて行かれて、Hくんは言う「そこに座って」小学5年の私には何もわからなかったけど、Hくんは思春期だった。

当然の結末#6(共同住宅、個人的体験)